LE'A'EWALU










②渡来弦樂器(輸入四弦・渡来四弦)



奈良時代以降に中国からやってきた四弦樂器・琵琶や阮咸は高級輸入工芸品のひとつとして貴族たちの間で雅な嗜みと認識され広く浸透していきました。この渡来四弦の登場により日本の音樂は幅広いものになったと思われます。同時に日本製のコピー樂器の誕生にも繋がったことでしょう。いわゆる拡散が起きたのです。

推定するに当初は耳慣れない中国の音楽ではなく和琴で演奏していた日本のメロディを琵琶を使って演奏していたことでしょう。やがて音階の自由度の高さを利用し、様々な新しい日本のメロディの発生に繋がっていったのではないでしょうか。

特に日本の琵琶の祖・藤原貞敏(807‐867)公に至っては平家物語で紹介されておりますが唐・楊州開元寺にて琵琶名人・廉承武の元で修習、併せて廉承武が当時の国禁にも関わらず愛娘・劉娘を妻として娶らせたことからもかなりの名手だったことがわかるでしょう。その貞敏公の家系は祖父の代から琵琶を弾いていたという逸話が残っております。

今でこそ大勢の演奏家たちの名前が際限なく残っておりますが平安時代頃において貞敏公の名前くらいしか見当たらないということは想像を絶する孤高のスーパープレーヤーだったとしか思えないわけであります。

日本で三大琵琶プレーヤーは誰?ウクレレリストは誰?と尋ねらて答えられる人は少ないでしょうが三大ギタリストは誰?と尋ねられたら答えられる人は大勢いますし、しかも全員名前がバラバラのはず・・・。十大ギタリストになったら収集はつかないでしょう。

現代でもそんな状況なのに一人だけ名前が現存しているなんて凄いと思いませんか?



下の「源氏物語絵巻」に描かれている琵琶を奏でながら、逢瀬のひとときを過ごしている様は現代の男女の姿と何ら変わらない光景です。

国学者・本居宣長先生は、「源氏物語絵巻」の真髄とされる「物の哀れを知る」は、平安時代の王朝文学上、重要な美的理念の一つと御指摘されています。

日常における、しみじみとした情趣や無常観は日本文化において美意識や価値観に大きな影響を与えた思想であり、今なお時代を超えて多くの日本人に備わっている感覚でしょう。

「侘び寂び」の感覚はまさに周囲を海に囲まれた狭い日本だからこそ皆与えられた状況を受け入れ、それぞれ人生を生き抜くという覚悟から生まれたのではないでしょうか。


~源氏物語絵巻より~