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③渡来四弦の変遷



それまでの国内弦樂器は絹糸の集合体である躯体の大きな絹糸6弦から構成されている和琴(約190cm)であり、持ち運びにも難儀していたことは容易に想像できます。

反して渡来四弦は室内だけでなく積極的に屋外にも持ち出され、四季折々の情緒溢れる空間にて新しい音楽の愉しみ方を派生させ、平安高貴人たちの吟行に続くアウトドアライフのさらなる充実に繋がったことと思われます。

このことは阮咸がやがて月琴という小型化になっていったことからも容易に想像できます。同様に琵琶にしても国内に持ち込まれたあと、取扱いが楽なように小型化されたことや幕末・高杉晋作の自作の組立型の道中三味線の存在が知られております。


藤原師長「豊川・宮路山の月」
(月岡芳年『月百姿』より)

渡来四弦もそれなりに日本で昇華された気配もありますが、藤原貞敏公が中国から持ち帰ったはずの琵琶の三大秘曲「楊真操」「啄木」「流泉」という曲が一般には継承されずに今では名称と譜面だけが残っているのは何とも日本的な結末ではないでしょうか。宮内庁で再現されたという噂があるようですがほとんどの日本人が耳にしたことがないという現状は実に御粗末な話でしょう。

坂本龍馬ではありませんが「今、一度日本を洗濯する」、そんな気概に溢れる人物がひとりでも多く名乗りを上げ、各分野で奮闘してくれることを願うばかりであります。


楓蘇芳染螺鈿琵琶かえですおうぞめらでんのそうのびわ
(奈良・正倉院古蔵)


螺鈿紫檀阮咸らでんしたんげんかん
(奈良・正倉院古蔵)





天平琵琶譜(奈良時代 天平10年 西暦738年頃)


譜面も難解。

まるで呪いのようなカオスな文字の羅列・・・・・。

綿々と奈良・平安時代から明治時代まで主流であった渡来四弦が九州以外の現代日本で廃れてしまった理由は演奏法が難し過ぎたという説が一般的なようですが、近代では日清戦争のときに国中で起きた「排外愛国主義」が最大の一因になったのではないでしょうか。

日宋貿易においては琵琶だけでなく医薬品を含めて多くの舶来品がもたらされ日本人たちはその深い恩恵を受けたのにも関わらず何とも不義理な愚行を冒してしまいました。

近代まで日本国内に残っているのは楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などですが普及しているとまではとても言い難い状況であります。

デジタルコンビニエンスライフに飲まれてしまうと反比例してヒトからはある種の器用さ、発想力が奪われてしまうことは明らかです。

デジタルの中枢である人工知能はヒトにとってはあくまでもサポーターであるべきで、主君であってはならないのにも関わらず、多くのユーザーにとってはすでに中毒のような現象が起きていることが懸念されます。

我々、ヒトに与えられた時間は皆、24時間である以上、聴く時間が延長すれば自動的に演奏する時間は短縮することから推察すれば、名プレーヤー育成はデジタル化が進めば進むほど困難になるはずです。

冒頭で閑寂について書きましたが、せめて街を離れた静寂な野外にいるときくらいはヘッドフォンは外して天然の様々な音を味わう時間を大切にしたいものではないでしょうか。
風の音、葉が擦れる音、鳥や虫の声、川のせせらぎといくらでも新鮮な自然の音がココロと共に耳も休ませてくれるはずです。