「 閑寂 (kanjaku) 」
あなたは日頃から自然の発する様々な音色を聴いたり風の流れを感じたり、草葉の匂いを嗅いだり、澄んだ夜空に浮かぶ月や満天の星を見上げたりしていますか?
太古の頃より地球では蒼い海と空、白い雲、緑の木々、川のせせらぎ、押しては返すさざなみ、何一つ変わっていない事象が今でもあり、我々の祖先たちも同様にそれらに対して各々、感動を覚えたことでしょう。
しかし、文明が高度になるにつれ、反比例して地球環境が不可逆的に悪化していくとは何とも皮肉なことです。昔に比べて空気が澄んだ日が格段に少なくなってしまったことを都会に住んでいると痛感させられる世代の方は少なくないでしょう。
日本人はこのまま為政者たちにとって都合のいい路線を突き進んでいくしかないのでしょうか。国民大多数の思考停止は日本の未来を壊滅的な方向に導くことはいうまでもありません。
撮影 酒井久幸氏
とくに国民の思考停止を後押ししている事象は様々なモニター中毒です。
多くの現代日本人は無意識のうちにスマホやタブレット、PCといった大小様々なモニターに多くの関心と時間を奪われてはいないでしょうか。何かに取り憑かれたかのように・・・。
風光明媚な観光地に出かけたときにでも景色もろく見ずにモニターを延々と覗き込んでる老若男女の姿を見掛けると酷い違和感を覚えます。中毒者にとって情緒とか風情なんて言葉は無縁なのでしょう。
デジタル化進展拡大による多岐にわたる利便性向上に比例して、ライフスタイルだけでなく文化面においても物事の軽薄・希薄化が驚異的なスピードで蔓延し、あらゆる分野で「重厚さ、奥深さ」を日毎、失っていく感覚を持たれる方は少なくないのでは?
併せて日本において今まで培われてきた多くの伝統工芸、伝統芸能などが徐々に縮小、形骸化されていくことが危惧されます。すでに絶滅してしまった日本伝統文化・風習も数え切れない位、あることでしょう。しかし、果たして先人たちの大切な遺産がこのまま淘汰されていくことは仕方のないことなのでしょうか。
長年、文明の利器を利用・支配してきたはずの人類が、逆に文明の利器に支配された先に果たして何が待っているのか智慧のある方には見えているはずです。終末にはコンピューターに思考だけでなく思想まで支配された多数の人間が地上に溢れているかもしれません。
遠隔無人攻撃飛行機 from Wikipedia
著名なスティーブン・ウイリアム・ホーキング博士も「人工知能の開発は人類の終わりを意味するかもしれない。」というショッキングコメントを以前に出しております。コンピュータやロボット工学の更なる発展はいずれ人類を滅亡に向かわせるかもしれないと警告しているわけです。
制御できるうちは都合は良いが出来なくなった途端に誰にも手が付けられなくなってしまうと、まさに福島原発事故同様な深刻な事態に陥ることを示唆しています。
人類が自分自身の経験や知恵、判断力に頼らず、コンピューターの判断を再重要視するようになれば温かみのある社会とは乖離した時代に突き進むことになりかねないということです。人工知能(Artificial Intelligence ; AI)が人類を超えると言われている2045年問題に憂慮しているのは私供だけではないでしょう。
延長線上では多くの社会的弱者(低所得者層)たちに対してかつての姥捨山の様に「効率が悪いから居なくなってもらった方がいい」という思想に繋がることにもなりかねません。
これを裏付けるように消費税増税、国民年金受給年齢の引上げや受給金額の引下げが社会的に容認されていることは誰も否定できない現実であります。
少子高齢化が進めば税益が減るわけなので自己責任の下、弱者排他が水面下で展開されていくことになるのでしょう。しかしAIが取り仕切る寒々しい未来の効率化社会において健全な日本文化の発展や全ての日本人たちに笑顔はあるのでしょうか。
ここから先、日本人が日本人たる生き方をする道を選ぶよう、警鐘を鳴らすべく個々人の数値化できない感覚を研ぎ澄ますことの重要性を広く提唱し、世界に誇る「ぬくもりと深み」のある日本伝統文化を介し、智に満ちた精神主義へ人類が進むよう、未来のために今、何をなすべきかを常に考えながら弊社は最大限の努力をしていきます。
福島原発水素爆発事故画像 朝日新聞DIGITALより
「みやびやか」が我々のテーマです。
普遍的な趣き深い、日本の伝統美に激しいほどの優雅さを加えた状態を古風に表現した「みやびやか」。かの天下人・豊臣秀吉がたいそう好んだ「きらびやか」とは違う、潔い高尚さを付帯しております。
我々は世界最強の刀物と認められている日本刀のように触れて良し、眺めて良し、使って良しの日本の「みやびやか」な逸品をお手元に届けます。この言葉を英語に変換してみるとAmazing Graceというフレーズがもっとも我々の「みやびやか」のイメージを伝えやすいのではないかと考えております。
1000年以上前の日本は、現代のように便利な生活を謳歌することの出来なかった時代にも関わらず、今からは比べられらないほどの真の「みやびやか」な時代が存在しておりました。
少しでも多くの「みやびやか」な時代を取り戻すことができるよう日本伝統工芸といったツールを通じて今一度、日本が日本で在り続けるために広く提案していきたいと考えております。
「みやびやか」の良さを通じて「きらびやか」なだけの空虚な破滅への道を突き進む大商業大量消費社会から日本が大転換するきっかけになることを信じて・・・・・。
webより