LE'A'EWALU










現代でもシルクロードという名前が残っていることからも「絹」にはかつて他の商品の追随を許さないほどの圧倒的な優位価値がありました。

「銘弦、躯体を選ばず」という言葉からも弦樂器の命は実は躯体ではなく弦そのものということも実際に「酷い樂器+良い弦」と「良い樂器+酷い弦」を比較してみると分かることであります。すなわちどちらが「良い音色」を発するかということは開放弦の音色ではっきりするからです。和弓のように両端に緊張を与えた弦を弾いたときに発せられた音は銘弦と駄弦の間には差が生じることは鳴弦と同じであります。堅い木の枝に絹糸弦を張って鳴らしてみれば誰でも納得せざるを得ないでしょう。

とかく高級樂器を追求される方が大多数ですが果たして躯体に相応しい上質弦を使用されている方はどれだけみえるのでしょうか?

もし高級弦未体験の方はぜひ試してみてください。弦樂器は躯体だけではなく弦そのものの影響が大きいことが実感できます。

LE'A'EWALU では音色の根源は「躯体」同様に「弦」そのものが重要、という結論であります。弦両端に触れる部分においても振動を伝えやすい材質を選択したことはいうまでもありません。

まさしくこれこそが分かり易い我々の「こだわりの追求の形」であり「日本製」そのものです。それによってサドルが単純な一本の直線形状で構成されるようなことはありません。サドル形状をみれば良いウクレレ、そうでないウクレレの違いを判断するポイントであることはウクレレ通なら御存知のことでしょう。

装着される絹糸弦の径も恒久的に一定でなければせっかくのサドルも意味を成しません。丸三ハシモト・橋本英宗氏の絹糸弦と名匠・高橋信治氏のまさに奇跡のコラボであります。











渡来四弦も上陸して1300年程度経過していますが藤原貞敏公が日本に持ち帰ったとされる琵琶の銘器、紫檀の玄象(ゲンショウ)・紫藤の青山(セイザン)のように個体に単純な名前があるものは残念ながら見受けられません。ほぼ型番ではないでしょうか。

叢雲・瀧波は玄象・青山のように1000年後の未来に残せる逸品になるためのベースとして十二分に仕上げられたと自負しております。認知度が上がってきたときは日本中の蒔絵師の中で共作を希望される方とのコラボで正倉院に残してもらえるレベルの作品を実現したいと思っております。